【青の絵画】魅惑のフェルメール・ブルーとゴッホの色彩配色


NORi
こんにちは、NORi です。

今回のテーマは
『青の絵画』です。

NORi
青の絵画というと
フェルメール・ブルー

を思い起こす方も多いと
思いますが、
 

ゴッホも
青色を多用しています。
 

フェルメールとゴッホは
活躍した時代は100年ほど
離れていますが、

共にオランダという地で生まれ
画家として生きた人でした。

NORi
今回は
そんな有名な2人の画家
フェルメールゴッホ

青色で絵を描いた理由について
注目してみたいと思います。

 

【青い絵画】フェルメールについて

The Milkmaid(c.1660)


The Milkmaid (c.1660)
oil painting on canvas (45.5×41 cm)

Johannes Vermeer (Dutch, 1632-1675)
Rijksmuseum Amsterdam(アムステルダム国立美術館)

フェルメールは
17世紀のオランダの画家です。
(ネーデルラント)

ヨハネス・フェルメール
(Johannes Vermeer, 1632-1675)

 

16世紀末のヨーロッパでは
ルネサンスにとって変わるように
バロックの波が生まれていました。
 

ルネサンスが理想とした
永遠性をもたらす
調和や均整といったものとは違い

劇的な変化や
過剰ともいえる装飾性を特徴とする
流動性に理想を見出した
バロックの思想とは
どこから来るものなのでしょうか。
 

それは
ヨーロッパ全土に渡る
激しい宗教戦争や
国家や社会が分裂する
不安な時代が訪れ、

動的な自然のあり方の中で
安定した秩序を求める努力が
求められていった時代が
もたらしたものでした。
 

このような時代に
広く用いられたテーマがありました。

例えば、

  • ヴァニタス
  • メメント・モリ

といった

人生の儚さや
死を想いながら生きる
というものでした。

好きな画家を見つける人|あなた、モランディが好きでしょ?

そんな
17世紀のオランダで
(ネーデルラント)

フェルメールは生まれました。
 

フェルメールは
バロック期を代表する画家です。

バロック期の絵画の特徴は
今にも動き出しそうな印象を与える
モデルのポージングの緊張感です。

 

【青い絵画】- 《真珠の耳飾りの少女》c.1665年

Girl with a Pearl Earring(c.1665)


Girl with a Pearl Earring (c.1665)
oil painting on canvas (44.5×39 cm)

Johannes Vermeer (Dutch, 1632-1675)
The Mauritshuis museum.

フェルメール30代前半の作品
⦅真珠の耳飾りの少女⦆は

まさに
振り向きざまの一瞬を捉えた
ドラマティックな絵です。
 

しかし
この絵を印象づけている
最大の魅力は

少女が頭に巻いている
輝くように鮮やかな
青色のターバンです。
 

この青色こそが
画面全体を引き締め

この絵を最大限に
引き立てています。
 

フェルメールが使った青とは
【ウルトラマリン・ブルー】です。
 

当時は
黄金にも匹敵するほど
高価な石であった
『ラピス・ラズリ』を

鉄の棒で砕き
細かい粒子状にした後

亜麻仁油で混ぜ合わせて
絵の具にしたそうです。
 

ラズリ・ラズリの青は
古代エジプトのピラミッドや
中世の大聖堂にも
用いられてきた色でした。
 

フェルメールは
この歴史的な重厚感あふれる

色あせることのない
ラピス・ラズリの青に
惹きつけられたと言われています。
 

フェルメールは
この青を
他の作品においても
効果的に用いていたことが

修復による研究で
明らかになっています。
 

次に紹介する作品でも
ラピス・ラズリが使われています。
 

【青い絵画】- 《デルフトの眺望》1660-1661年

View of Delft(1660-1661)


View of Delft (1660-1661)
oil painting on canvas (96.5×115.7 cm)

Johannes Vermeer (Dutch, 1632-1675)
The Mauritshuis museum.

フェルメールの生まれたオランダには
マウリッツハイス
という美術館があります。
 

この美術館には
フェルメールの名前の展示室があり

《真珠の耳飾りの少女》が
飾られています。
 

そして
もう一枚、

《デルフトの眺望》という作品が
あります。
 

マウリッツハイス美術館の
修復工房では

この二枚の名画から共通する
フェルメールの光の描き方や
筆のタッチなどを研究しています。
 

また、
使われた絵の具や
塗られた順番も分析されていて

《デルフトの眺望》という
風景画においても

フェルメールは
ラピス・ラズリを使っている
ということが分かりました。
 

高価な
ラピス・ラズリから作った
ウルトラマリン・ブルーは

空や川
さらには
建物の横にある生け垣の
緑など

作品のいたるところに
使われているそうです。
 

白を使った
細やかな光の表現に加えて

ラピス・ラズリの
宝石粒子がキラキラと輝く効果が

雨上がりの空気感と
光を反射する様々な物質の
軽やかな存在感を
生み出しているといいます。
 

このデルフトという町は
フェルメールの故郷です。
 

17世紀初頭のオランダは
東アジアとの貿易が盛んで

それまでの人々が
見たことのないような
鮮やかな青色の陶器が

オランダの人々の色彩感覚を
一変したといいます。
 

デルフトの町でも
陶器工場が建てられ

デルフト焼の陶器が
ショーウィンドウいっぱいに
並んだそうです。
 

その名も
デルフト・ブルー。

フェルメールもまた
そんな青色の美しさに魅せられた
ひとりだったのではないでしょうか。
 

【青い絵画】フェルメールからゴッホへ

Woman Reading a Letter(ca.1662-1665)


Woman Reading a Letter (ca.1662-1665)
oil painting on canvas (46.6×39.1 cm)

Johannes Vermeer (Dutch, 1632-1675)
Rijksmuseum Amsterdam(アムステルダム国立美術館)

フェルメールの生きた
17世紀のオランダは

貿易や軍事、
科学や芸術の分野で
世界的に最も栄えた時期であり、

オランダ黄金時代
と呼ばれています。
 

このころ
オランダ人が航海先から
手紙を出すという文化が
流行したそうです。
 

手紙の習慣は
その後も続き

19世紀のオランダの画家
ゴッホの手紙の習慣にも
見られています。
 

ゴッホは
膨大な手紙を残した画家
としても有名で、

フェルメールに関する
次のような文章が残っています。
 

『君はヤン・フェルメールという名の
画家を知っているかい?

彼は
とても美しい妊娠しているオランダ婦人を
描いている。
 

この不思議な画家のパレットは、
レモンイエローと真珠色した灰色と
黒と白だ。

無論、
数少ない彼の作品のうちには
厳密にいえば
完全な色の豊富な絵もあるが、
 

そのレモンイエローと淡い青と
真珠色した灰色は、

ちょうどヴェラスケスの
黒、白、灰、紅と同じように

独特のものだ。』
 

【青い絵画】ゴッホについて

Interieur van een restaurant(1887)


Interieur van een restaurant (1887)
oil painting on canvas (45.5×56.5 cm)

Vincent van Gogh (Dutch, 1853-1890)
Kröller-Müller Museum

ゴッホは
ポスト印象派を代表する
19世紀のオランダの画家です。

フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ
(Vincent Willem van Gogh, 1853-1890)
 

印象派の流れは
19世紀後半のフランスで
始まりました。

17世紀以降のフランスでは
古代ローマの美術を手本とした
歴史画を高く評価する風潮が
続いていたようです。
 

19世紀にはいると
そのようなルールに疑問を持つ
若い画家たちが次々と現れ

それぞれの信念に基づいて
新しい芸術の流れを作っていきました。
 

例えば、

  • ロマン主義
  • 写実主義
  • バルビゾン派
  • 印象派

といった画家達です。

【ターナーと透明水彩】重色技法を発見した「光と色彩の画家」

ゴッホもまた
オランダの権威主義的な体質に
嫌気がさし

1886年の2月末
パリに向かったのでした。
 

パリに移った頃の
ゴッホの手紙が残っています。

『ここには見るものがいっぱいある
― 例えば
巨匠の名を一つだけ挙げれば
ドラクロワです。
 

アムステルダムでは僕は
印象派がどういうものであるのかさえ
知らなかった。
 

いまでは目の当たりに見てきたし
そのクラブの一員ではないにせよ

僕は何人かの印象派の絵、
ドガの裸婦、
クロード・モネの風景などは
とてもすばらしいと思った。』
 

しかしながら
光と色彩の効果的な表現を追及する
印象派の絵画とは

ゴッホの目指すところは
違ったようです。
 

友人にあてた手紙の中で
ゴッホは次のように書いています。

『印象派の絵を見てから
あなたにはっきり言えるのは、
 

あなたの色彩も、
僕の色彩も、

このまま進展するかぎり
彼らの理論と正確に同じではない
ということです。』
 

そんな中
印象派と同じく
光と色彩の表現を追求しながらも

点描という新しい技法を生み出した
新印象派の画家スーラにも
ゴッホは出会っています。

ジョルジュ・スーラ|印象派を超えた点描画家・作品紹介など

ゴッホはもともと
色彩に深い着眼をもっていたようで

パリでの半年で
明るい色調を目指した
多くの習作に取り組んでいます。
 

ゴッホは
伝統的な細密画や模写、
点描法(上の画像作品)にも挑戦し

さらに独自の絵の表現へと
向かっていきます。
 

【青い絵画】- 《ひまわり》1889年 

Sunflowers(1889)


Sunflowers (1889)
oil painting on canvas (95×73 cm)

Vincent van Gogh (Dutch, 1853-1890)
Van Gogh Museum, Amsterdam

1886年2月末、
ゴッホはパリに移り住みます。

ゴッホはひまわりの連作を
描きます。
 

ひまわりは当時パリで流行していた
モチーフだったようですが、

それだけだったとは
言い切れないのかもしれません。
 

ゴッホにとってひまわりは
無意識のうちに

生命力の源泉ともいえる
太陽の象徴に見えたのかもしれない
と思われるのです。
 

ゴッホは
1888年2月に
南フランスのアルルに向かいます。

そのことについて
ゴッホはこのように語っています。
 

『僕は日本の絵が好きで
その影響を受けている。

できれば日本へ行きたい。

それが無理なら
日本に似た南フランスに
行くべきではないだろうか』
 

『日本の芸術を勉強すれば
誰でももっと陽気に
もっと幸福にならずには
いられないはずだ』

ゴッホが日本の浮世絵の
鮮やかな色合いや的確な線、

さらには大胆な構図に
興味を示していたことは
よく知られています。
 

ゴッホは日本で
なにを見たかったのでしょうか。

それは
光り輝くような
美しい色彩あふれる風景でした。
 

ゴッホが日本に似ている
と感じていた
南フランスの豊かな自然は

ゴッホを感情に赴くままに
次々とキャンバスに向かわせました。
 

ゴッホは太陽の表現について
弟テオに向けて
次のように手紙を書いています。

『この太陽、この光、
どういえばいいのか、
いい言葉が見つからない。

ただ黄色。
薄い硫黄の黄色。
 

薄い金色のレモン
というほかはない。

この黄色がじつに素晴らしい。』
 

ゴッホは太陽やひまわりといった
モチーフそのものというより

それらが象徴している
崇高な何かを想起させる黄色に
魅せられたのではないでしょうか。

《色彩科学で紐解く絵画》3原色と補色|ゴッホの「ひまわり」

そんな希望に満ちた
南フランスで

ゴッホの絵画は一気に開花した
と言われています。
 

【青い絵画】- 《オーヴェールの教会》1890年

L'église d'Auvers-sur-Oise, vue du chevet(1890)


L’église d’Auvers-sur-Oise, vue du chevet (1890)
oil painting on canvas (93×74.5 cm)

Vincent van Gogh (Dutch, 1853-1890)
Musée d’Orsay(オルセー美術館)

南フランスのアルルに渡って
一年にも満たない1888年12月、

ゴッホは耳切り事件を起こします。
 

この事件の真相は
よく分かっていないようです。

それからは度々
激しい発作が襲うようになり

1889年5月、
南フランスのサン=レミにある
精神病院へ

自らの意思で入院します。
 

激しい発作の中で
ゴッホは繰り返し『死』を
意識したと言われています。

発作がおさまると
ゴッホはすぐに絵に取りかかり

それらの作品に対する
冷静な色彩分析や
構図への考察を行っています。
 

ゴッホの
禁欲的で勤勉な精神は

生まれ育ったオランダの
宗教的背景が大きく影響している
と考えられています。
 

ゴッホの生まれたオランダは
カルヴァン主義の
プロテスタントの国で、

ゴッホの父親は
カルヴァン派の牧師でした。
 

ゴッホが一貫して描き続けた
モチーフに「教会」があります。

ゴッホにとって教会は
あふれる愛着が抑えきれずに
描いてしまうものであり、

一方で
もはや真の意味で聖性を失った
激しい嫌悪の対象でもあったようです。
 

ゴッホは実生活を通して徐々に
制度としてのキリスト教の中に
もはや真のキリストはいないと

キリスト教の崩壊を
見抜いてしまうのです。
 

パリでの明るい太陽に癒され
ゴッホの教会に対する憂鬱な感情も
徐々に昇華していきますが、

ゴッホは最晩年まで
この愛着と嫌悪という
両極端の感情の間で揺れ動いていきます。
 

教会が見えない風景に
むりやり教会を入れ込んで描いた作品も
描いていて

ゴッホの教会に対する思い入れは
後々まで残りつつも、

1890年に描かれた
《オーヴェールの教会》
という作品では

徹底的にキリスト教を
批判しているようです。
 

《オーヴェールの教会》では
不自然過ぎるほど青い空を
従えた古い教会と

教会の脇をまったく関心を持たずに
通り過ぎるかのような農婦が
黄色の明るい波紋の中心となるように
対照的に描かれています。
 

そして農婦の頭部には
色が塗られていません。

キャンバスの下地がむき出しの
頭部はどのような意図があって
のことでしょうか。
 

教会を無批判に受け入れて
染まってしまうのではなく

教会の教えなど受け流し
日々の生活を太陽とともに
生きるという自然の法則

あるいは生命原理を
示していると考えるのが
自然でしょう。
 

ゴッホはたびたび
黄色と青の色彩を用いています。

この色の組み合わせは
ゴッホにとって
イエスの象徴に結びつくものでした。
 

1886年6月
ゴッホはオークション会場で

ドラクロワの描いた
⦅嵐の中で眠るキリスト⦆という
作品を見ます。
 

ゴッホはこの作品の
色彩に強く感銘を受けています。

『あぁ-見事な構図だ。
 

ドラクロワはキリストを
明るいレモン色の思いがけない
色調で描いている。

この色調は生彩があり
明るく輝き、
 

天空の一遇まで
星が発するえもいわれぬ奇怪さと
魅力と同じ効果を
絵の中にもたらしている。』
 

ドラクロワが黄色と青を使って
イエスを表現するしていたように

ゴッホもまた
黄色と青の色彩によって
イエスの存在を強く表現しています。
 

ゴッホは
次のように書いています。

『ぼくはオリーブ園で
キリストが天使と一緒にいる習作を
描き削った。
 

しかし、ぼくは頭の中にそれを
色を伴った状態でもっている。

-星月夜、青いキリスト像、
最も強力な青、
 

そして混色された
レモンイエローの天使』
 

ゴッホの
《オーヴェールの教会》という
作品で示したかったのは

すでに
神聖な精神が死んでいる
教会それ自体と
 

むしろ教会の外側の世界に
青と黄色の生き生きとした
生命あふれる世界

すなわち
イエスが示した
真の救いの世界がある

ということではないでしょうか。
 

【青い絵画】まとめ

  • フェルメールは17世紀のオランダ(ネーデルラント)の永遠性や均衡よりも流動性や装飾性に理想を見出したバロック期を代表する画家です。
  • ゴッホは19世紀のオランダの権威主義に反発し、南フランスで光と色彩の表現を追求したポスト印象派を代表する画家です。
  • フェルメールは宝石ラピス・ラズリの青に魅せられ、ゴッホは神聖なる神の表現としての黄色と青の配色に魅せられた画家でした。

 

NORi
黄色やオレンジと
紫や青といった配色は
ちょうど補色の関係です。

フェルメールは
青に魅せられ

ゴッホは
黄色に魅せられ・・・

芸術というのは
画家にとって人生そのものなのですね。