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Memento mori (メメント・モリ)『死を想え』|骨と芸術

    
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Memento mori (メメント・モリ)『死を想え』|骨と芸術

こんにちは、NORi です。
わたしは人物の絵も描くのですが、人の姿の美しい瞬間や心の関係だけでなく、その姿を生み出している人体の骨格にも興味を寄せています。

今回は、現代人体解剖の創始者として知られる解剖学者アンドレアス・ヴェサリウスの著作、通称『ファブリカ(Fabrica) 』をご紹介してみようと思います。

NORi

生の象徴としての『 骨 』

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人体の骨格のつくり(鉛筆) by Nori



上の写真は
わたしのスケッチブックなのですが、


現代人体解剖の創始者として知られる
解剖学者アンドレアス・ヴェサリウスの著作、

通称※『ファブリカ(Fabrica) 』の
図版コピーを見ながら
人体の骨格の構造を描いているところです。


[ ※原典:ANDREA VESALII, BRVXELLENSIS, SCHOLAE Medicorum Patauinae professoris, de Humani corporis fabrica, Libri septem. 1543 ]





ぜひ、ここはどうか、
『生の象徴としての骨』

という視点で眺めていただければと思います。



 

体のシステムとしての骨格 -Skeletal-

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人体の骨格のつくり(鉛筆) by Nori



骨格・・・

とても美しい形だと思いませんか?


骨格がなければ
体の形は定まらずに崩れてしまうと思うと、

力強く設計された骨格が
美しい精密機械のように見えてきます。




人間の骨格は
200 個を超える骨から出来ていて、

体を支える柱や梁となって
人体の形を作り上げているそうです。


これらのひとつひとつの骨が
私達一人ひとりの人生を支えているのだと思うと、

自分の体も
ひときわ愛おしいものに感じられてきますね。




それと同時に、
わたしたちの体は肉体という物質である
ということに改めて気がつきます。


私達は、
どこまでも自由な思考を展開できる
精神的な存在でありながらも、

肉体として
地球上の自然の法則に従う存在である
ということに改めて納得します。




自分の体の調子や生活、
様々な状態を正しく整えるということは、

自然の法則に沿って
自分の動きや働きが
軽やかにスムーズになるようにすること
と言い換えられるのかな、と


骨格を描きながら感じます。




骨から芸術へ (1) 美しき解剖書『ファブリカ』の価値

上でご紹介した

アンドレアス・ヴェサリウスの著作
『ファブリカ』ですが、


解剖学の専門書として
1543 年に出版されて以来、

近代医学の発展に計り知れない貢献をした
と評価されている
大変貴重な書物なのです。




そんな近代医学の基礎を築いた
解剖書『ファブリカ』の価値は、

その専門書としての
学術的な研究内容だけでなく、


なんといっても
美しい解剖図とのコンビネーションに

大きな特徴があります。




そのため、

『ファブリカ』は
すぐれた科学者と芸術家の協力によって誕生した、

と言われています。


その初版の価値は
2,000万円は下らないそうです。




あまりに美しい解剖図に、

わたしも思わず
スケッチブックに描いてみたくなりました。




『ファブリカ』初版の現存と複製版。

20世紀に行われた調査によると、

『ファブリカ』の初版は
世界に154冊現存し、


日本には7冊が存在しているそうです。




また、
複写印刷したファクシミリ版

というものもあります。


日本でも
『ファブリカ』ファクシミリ版が

日本語の解説冊子と共に出版されています。




この貴重な書物の著者
アンドレアス・ヴェサリウスとは
どんな人物だったのでしょうか。






骨から芸術へ (2) 『ファブリカ』著者の人物像

アンドレアス・ヴェサリウスが
1543年に『ファブリカ』を著した時、

彼は27歳という若さだったそうです。




ヴェサリウスは1514年の年の瀬、
12月31日に

現在のベルギー首都
ブリュッセルで生を享けます。


家系には医者や学者が多く、

父親は
神聖ローマ皇帝カール5世に仕える
宮廷薬剤官でした。




子供の教育にあたっていたのは
母親だったそうです。


医学を志すには、
とても恵まれた家庭環境で、

家には一族が代々収集した
多くの蔵書がありました。




少年時代から
ヴェサリウスは読書に親しんでいたそうです。


ヴェサリウスは一族の伝統を受け継いて
医学を志し、

18歳でパリ大学医学部に入学します。




当時は、
北ヨーロッパの名門であったパリ大学も
イタリアと比較すると保守的であったようです。


観察科学としては
まだ遅れていた時代だったようで、

それまでのギリシャ医学を集大成した古典を
解釈するだけの講義に

ヴェサリウスは
失望を募らせていきました。




骨の観察

ヴェサリウスのこの頃のエピソードが
残っています。


ヴェサリウスは
「自分の眼で観察したい」という思いから、

小動物の解剖を行う傍ら、




なんと、

学友たちと
墓地にたびたび出向き、


風雨にさらされた骨を
長い時間観察していたそうです。




そして、

自分の知識がどれほど正確かを
試すために、

友人達とある賭けをします。




それは、
目を閉じたまま

手を触れるだけで


30分以内に
その骨がどこの何の骨かを当てる
というものでした。


ヴェサリウスが
まず最初に骨に着目したことは、

後の著作『ファブリカ』が
骨学から書き起こされていることに
つながっていきます。




実は、
ヴェサリウスの『ファブリカ』は、

当時、
相当な非難を浴びたようです。


『ファブリカ』が出版された時代というのは
どんな時代だったのでしょうか。






骨から芸術へ (3) 『ファブリカ』大バッシングの時代背景。

ヴェサリウスが『ファブリカ』を著した
1543年いうのは、


コペルニクス
(Nicolaus Copernics, 1473-1543)

の遺著、

すなわち” 地動説 ”が公表された年でした。




ヴェサリウスの『ファブリカ』が
人間の体という小宇宙を。


そして、
コペルニクスの”地動説”が天体という大宇宙を。




科学の大きな謎を解く2冊の書物が
偶然同じ年に刊行されたことから、

1543年を以て、
近代科学史の紀元とする

ともいわれています。




不朽の名著
『ファブリカ』の刊行は、

大きな反響を巻き起こし
その中には非難もあったのです。


それは、

正確に
解剖の結果を述べることを目的とした
ヴェサリウスの『ファブリカ』が、


結果として
これまでの古典医学を
批判するものとなっていたからです。




しかし、

ヴェサリウスの『ファブリカ』は
それらの批判に耐え、

時代を乗り越えていきます。


1543年という時代、
日本はどのような時代だったのでしょう?




日本での1543年は、

天文12年にあたり、
ポルトガル商船が種子島に漂着!


鉄砲伝来の年です。




日本人が初めて直接、
西洋文化に触れた年
ということになります。


日本における
有名な解剖図といえば、

『解体新書』があります。




杉田玄白、前野良沢らが
苦心してオランダ語を訳し、


解剖図『解体新書』が
ようやく出版されたのは、

1543年から遥か約230年後の
1774年(安永3年)になります。




これと同時に、

長崎の本木良永がオランダ語を訳し、
地動説が日本に紹介されることになります。






骨から芸術へ (4) 『ファブリカ』の芸術性

時代を乗り越えて
今に受け継がれている

不朽の名著である『ファブリカ』。


その魅力の一つは
美しい解剖図にあります。




『ファブリカ』の価値は、

その専門書としての
学術的な研究内容だけでなく、


美しい解剖図との結合にある
と言われています。




単なる挿し絵ではない
すぐれた解剖図が

テキストの内容を適切に深め、


『ファブリカ』を
芸術という域に高めています。




つまり、

『ファブリカ』は
科学書として偉大であるだけでなく、

書籍印刷史上においての傑作
と賞されているのは、


素晴らしい木版画の解剖図があるからに
他ならないということです。




科学者と芸術家のコラボレーション
というわけですね。


パリ大学の
解剖学の教授であったヴェサリウスは、

学生たちに分かりやすいようにと
解剖図を描いて講義をしていたそうです。




これが非常に好評だったらしいのですが、

学生たちがこれを模写しているうちに
下手な図が広まったため、


必要に迫られて
解剖図 6 葉を収めたものを
『ファブリカ』以前にも出版しているようです。




当時、

医学のテキストに
詳細な図がつくことは

稀なことだったそうです。


むしろ
古代には無かった習慣であるとして、

排斥されていたようです。




そんな中での『ファブリカ』の刊行は
その財政的な面からも一大事業であって、

その図版の意味も含めて
画期的な仕事でした。


そのことを
ヴェサリウス自身も大切に考えていて、

『ファブリカ』のための木版画は
ヴェネチアの工房に依頼しています。




しかし、
直接の木版画の作者については
はっきりしていないことが多いようです。


解剖学を初めて学問として体系立てたのは
ヴェサリウスであり、

彼の『ファブリカ』の出版 (1543) が
近代解剖学の幕を開けたわけですが、




実はこの20年以上前に
人体の解剖に取り組んだ人がいました。


素晴らしい解剖図と言えば・・・

レオナルド・ダ・ヴィンチです。
(Leonardo da Vinci, 1452-1519)




美術と科学的なアプローチを駆使して
真理を追究していた画家であったことがわかります。


ルネッサンスにおいては、

レオナルド・ダ・ヴィンチや
ミケランジェロなどをはじめ、


画家の側から
人間を正確に描くために解剖図を描く

という試みがなされていました。




このような、
ルネッサンス美術の画法や精神が

間接的に
『ファブリカ』の制作に
影響を及ぼしていると考えられているようです。




 


骨から芸術へ (5) 『ファブリカ』の内容

通称※『ファブリカ』の原典タイトルは

『De humani corporis fabrica libri septem』
となっています。


[ ※原典:ANDREA VESALII, BRVXELLENSIS, SCHOLAE Medicorum Patauinae professoris, de Humani corporis fabrica, Libri septem. 1543 ]




『ファブリカ』は全て
ラテン語で書かれているそうです。


書名の
『De humani corporis fabrica libri septem』
の日本語訳は、

『人体構造についての七つの書』
と訳されることが多いようです。




“humani corporis fabrica”
の部分から

『人体構造論』
と訳されることもあります。


“libri”は

書物や文書などの意味をもつ
“libor”の複数形で、


“巻”または“編””篇””部”
などに該当するようです。




septem が 7 という意味です。


一冊の内容が
7篇に分かれていることを示しています。




『ファブリカ』はA3サイズで
650ページを超える大著です。


各巻の表題がかなり長く、
内容としては
以下の 7 篇構成になっているようです。




I: 骨格(骨と軟骨)
II: 人体と筋
III: 血管(静脈と動脈)
IV: 神経
V: 消化器と生殖の器官
VI: 循環器(心臓と付属器官)
VII: 神経系(脳)


また、
解剖所見を系統的に整理しなおした
※2『エピトメー』
を同時に出版しています。



[ ※2 ANDREA VESALII, BRVXELLENSIS, SCHOLAE Medicorum Patauinae professoris, sourum de Humani corporis fabrica librorum epitome. 1543 ]



『エピトメー』の方は
古代医学的な枠組みを受け継いでいて、

古代医学の集大成
あるいは
古代医学の到達点
ともいわれているそうです。




 


骨から芸術へ (6) Memento mori (メメント・モリ)『死を想え』

15世紀から16世紀にかけての
ヨーロッパでは、

医学の発展に伴う
純粋な科学としての解剖図
というものが存在した一方で、


頭蓋骨というものが

絵画の主題として
密接な影響を持つことになります。




17 世紀に勃興し
18 世紀に隆興をきわめた

『静物画』の分野において
その影響が見て取れます。




その時代の静物画には、

人間である限り
誰にも逃れることのできない死、


あるいは
はかない人生を生きるという
人間の運命


を表すためのモチーフとして
頭蓋骨が使われます。




頭蓋骨
というモチーフを通して

表現された思想を
象徴する言葉があります。


  • Memento mori (メメント・モリ)『死を想え』

  • Vanitas (ヴァニタス)『空虚』

  • Danse macabre (ダンス・マカーブル)『死の舞踏』

  • Transit (トランジ)『移ろいゆくもの』

これらの思想が
大きなテーマとなって、

芸術における絵画にも
頭蓋骨が配置されるようになりました。




なぜそこまでして
死を想わなくてはならなかったのでしょうか。


そこには現代にも通じる
普遍的な人間像が浮かび上がってくるように感じます。




私達は皆、
自分の人生に限りがあることを
意識せずに毎日を過ごしています。


その、どこか現実から離れた
弛緩した精神の中では

本当の人生の意味を見出すことは
難しいのかもしれません。




華やかな生活が描かれた絵の中に配置された
骸骨は、

自己中心的なふるまいや傲慢さといったものを
戒めてくれる象徴的な存在です。


死生観を繰り返し自分に問い正すために

死と生というものに対峙する絵画を
家に飾ったのでしょう。








『骨から芸術へ』参考資料一覧

『ファブリカ』をはじめとして

アンドレアス・ヴェサリウスの
伝記や著作、


その書誌学的研究が
熱心に行われています。




今回参考にさせて頂いた資料は
以下のとおりです。
  • 阿久津 裕彦, 澤井 直, 坂井 建雄, ヴェサリウス『ファブリカ』の筋肉人図における人体表現の形態学的分析, 順天堂医学 58 巻 (2012) 2 号 p. 151-160

  • 坂井 建雄, 解剖学書としてのヴェサリウスの『ファブリカ』と『エピトメー』, 日本医史学雑誌第43巻第4号, 423-455,(1997)

  • 鈴木 秀子, アンドレアス・ヴェサリウス『人体の構造についての七つの書』(貴重書紹介), 明治大学図書館図書の譜-明治大学図書館紀要4号,311(90-118),2000







骨から芸術へ|まとめ

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人体の骨格のつくり(鉛筆) by Nori


  • 近代医学の基礎を築いた解剖書アンドレアス・ヴェサリウスの著作『ファブリカ』をご紹介しました。
  • アンドレアス・ヴェサリウスは、27歳でこの偉業を成し遂げました。
  • 当時は相当な非難を浴びた『ファブリカ』でしたが、美しき解剖図の芸術性の高さから書籍印刷史上においての傑作と賞されています。


アンドレアス・ヴェサリウスの『ファブリカ』から始まって、15世紀から16世紀における科学と芸術の大きな流れを『骨から芸術へ』というテーマで追ってみました。Memento mori (メメント・モリ)『死を想え』といった思想が大きなテーマとなって、芸術における絵画に頭蓋骨が積極的に配置されるようになった時代があったことは、芸術の本来の役割を象徴しているように感じました。

NORi





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