ジョルジュ・スーラ|点描画家が印象派を超える 《作品紹介》
こんにちは、NORi です。
今回のテーマは『印象派を超えた点描画』です。点描画というのは絵の具で描かれた小さな点が鑑賞者の目の中で『視覚混色』を引き起こすよう、科学的な理論に基づいて描かれた絵画です。
この技法が生み出す明るい色彩や煌めくような色調は、同じく光と色彩を追求した印象派の絵画達にはとうていたどり着くことのできないものでした。今回はそんな点描技法の魅力と、点描画の創始者ジョルジュ・スーラをご紹介してみようと思います。
NORi
点描画家ジョルジュ・スーラ|生命の輝きと色
芸術の目的とは
一体なんなのでしょうか。
芸術が人類にとって
普遍的な価値を持ち
時代を超えて
人生に豊かさをもたらすのは
何故なのでしょうか。
それは
私達人間の命に
輝きをもたらすことを
芸術家が目指していたから
ではないでしょうか。
その芸術家の精神が
見る人の心に伝わって
深い感動とともに
生きる力を受け取ることが
できるのだと思うのです。
私達人間は
視覚・聴覚・味覚・触覚・臭覚
といった五感を総動員して
日々の生活を送っていますが、
視覚というのは
空間的にかなり広い範囲の情報を
一瞬で集めることができます。
私達がいまここで生きている
という現実と
それを支えている
有形無形の複雑な営みをも
私達は視覚から
多くを感じることができるのです。
私達は自覚している以上に
多くの事を視覚に頼っている
と言えそうです。
ところが
私達の持つ視覚
特に【色】というのは
人類特有のもので、
他の生物の視覚を通すと
また違った色に見える
と言われています。
私達が持っている色の認識は
進化の過程で人類が獲得した
人類が生き延びるために
必要な物を見やすくする能力であって、
その目的に合うように
主に視神経および脳神経の働きによって
視覚情報が処理され、
加工されたものなのです。
つまり
目の前に見えている
色彩あふれる世界というのは
脳の中で色づけされたもので、
現実の姿をそのまま
映し出したものではない
ということなのです。
まさか
いま見ている現実(?)に
色がついていないなんて、
自然科学というのは
本当に凄いことを解明しますよね。
それでも私達は
美しい風景に添えられる
色に感動し、
色の妙に深く心を寄せるのです。
それはまさしく
生命の輝きだからでしょう。
その色が
確かにある
存在の重みを
間接的に教えてくれていると
言えるのではないでしょうか。
点描画家ジョルジュ・スーラ|色の虚構を描く過激な絵画?
ここまで
私達が視覚を通して眺めている
目の前の色というのは
虚構である
ということを書いてきましたが、
いくら科学的に解明された
事実であっても
ちょっと過激に聞こえますよね。
このことは私達にとって
納得しにくい現実であり、
これを真正面から突きつけられる
というのは
やはり過激な印象があるわけです。
それを
絵画の世界に持ち込んだ人が
今日の主人公であります
ジョルジュ・スーラ
(Georges Seurat, 1859-1891)
なのでした。
スーラーは
色彩というものについて
深い考察を行い
これまでにない
新しい色彩技法を使い
作品を発表しました。
当時巻き起こった
画家達の猛反発の一端を
垣間見ることができる
エピソードを
ご紹介してみようと思います。
スーラーは絵画技法だけでなく
科学的な色彩理論にも精通しており、
それらの科学的根拠に基づいて
分割主義あるいは点描技法を
確立していました。
しだいに
スーラーの作品に強く惹かれた
若い画家達が集まり
点描技法は徐々に広がりを
見せていきました。
その勢いは
当時の主流であった印象派画家達にとっても
無視できないものになっていきました。
そして
次の印象派展において
点描技法を使う画家達の出品を
許可するかどうかといった
話し合いがあったのです。
印象派の画家ルノワール
ピエール=オーギュスト・ルノワール
(Pierre-Auguste Renoir, 1841-1919)
は
このとき
『絵画には説明のつかない
付加的な何かがあり、
それこそが絵画の本質である』
と主張し、
科学的な理論に忠実に描こうとする
点描主義の画家達を
印象派展へ参加させることには
反対の立場をとりました。
一方で、
印象派の中には
スーラ率いる点描画の素晴らしさに
賛同する画家も多くいたため、
スーラー達の出品は
認められることとなりました。
その結果を受けて、
ルノワールは
なんと自らの出品を撤回する
という決断を下したと言われています。
点描画家ジョルジュ・スーラ|作品紹介
ここで
スーラの作品を観てみましょう。
上の絵は
⦅アニエールの水浴⦆(1883-1884)
という作品です。
この作品は
点描画に至る前に
スーラが色彩理論に忠実に従い
混色による濁りを徹底的に避けるように
描いた最初の大作と言われています。
スーラの興味は
『科学的な理論に基づいた
色彩と光の真の知識を
どのようにしたら
絵画に応用できるか?』
ということでした。
スーラーの色彩技法に衝撃を受けた
画家ポール・シニャック
(Paul Victor Jules Signac, 1863-1935)
が次のような言葉を残しています。
「コントラストの法則の研究、
光と陰や固有色や反映などの
理論的な識別、
そしてそれらの比例や均衡などが
この作品に完全な調和を与えている。」
スーラーは
⦅アニエールの水浴⦆の作品で用いた
色彩技法にさらに研究を重ね、
さらに追及することで
ついに点描画という
新しい技法を披露するに至ります。
それが
次の第二作目の大作である
⦅グランド・ジャット島の日曜日の午後⦆
(1884-1886)
と
⦅グランカンの干潮⦆(1885)
という作品です。
これらのスーラの作品は
当時の画家達に大きな衝撃を与え
賛否両論の渦を
巻き起こすことになりました。
印象派の画家達の中には
科学的アプローチによる点描画は
絵画としての本質が抜けた
味気ないものであると
その価値を認めない者もいました。
ルノワールもその一人でした。
特に
⦅グランド・ジャット島の日曜日の午後⦆
という作品は
歴史画に負けずとも劣らない
縦2m×横3mもある
超大作の油彩画でした。
スーラという新進気鋭の芸術家が
彗星のごとく現れたのでした。
スーラの点描画の作品からは
印象派の表現を明らかに超える
明るく煌めくような光と色彩の世界が
画面いっぱいに広がっていました。
スーラによって提唱された
点描技法と
その絵の素晴らしさに感動した
フランスの美術評論家
フェリックス・フェネオンは
(Félix Fénéon, 1861–1944)
『ラール・モデルヌ』という文芸誌で
スーラを中心とした
点描画家達の新しい芸術運動のうねりを
新印象派(ネオ=アンプレッシュニスト)
と名付けました。
【新・印象派】という名前はもちろん
モネやルノワールなどが確立した
印象主義という色彩表現とは区別して、
ということでした。
当の新印象派の画家達は
印象派に対抗し否定したのではなく、
印象派と同じく
【光】と【色彩】テーマに取り組み
さらに追求を深めた結果であったのです。
しかしながら
印象派の勢いは幕を閉じ、
新印象主義の流れが
その後の前衛芸術を生み出す
大きな駆動力となっていくのでした。
点描画家ジョルジュ・スーラ|印象派を超えて
印象派というのはそもそも
どのようなものなのでしょうか?
それは
陰影によって立体感を表現する
明暗法の技法よりも
色彩による
明るい画面作りを目指した
新しい画家達の試みでした。
印象派は1870年代に登場しましたが、
それまで長く問われ続けた
論点がありました。
それは17世紀末に起こった
色彩論争で論じられた
『絵画の要素として
線(デッサン)と色彩のどちらが
基本であり重要であるか?』
というものでした。
そして19世紀末
フランス絵画が出した答えが
『色彩』だったのです。
印象派を代表する画家モネは
(Claude Monet, 1840-1926)
その時代に開発されたばかりの
チューブ入りの絵の具の
明るい色彩を活かし、
できるだけ混色を避けながら
自然の世界の目映いほどの
光や大気の動きを
画面に展開しました。
そして
自宅の庭をテーマにして
モネは『睡蓮』の連作を描きます。
この作品を見た小説家
マルセル・プルーストは
(Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust, 1871-1922)
見たままの自然を凌駕する
モネの色彩技術を
次のように評しています。
『花を植えたというよりは
様々な色調と色彩を植えた庭園のようだ。』
陰影よりも
【光】の輝きに目を向け
鮮やかな【色彩】表現をテーマに
まさに光に包まれたかのような
印象主義絵画が誕生したのです。
これまでの明暗法に支配された
暗い画面は一気に解放されて
眩いほどの色彩に包まれた
明るい表現が可能となりました。
そのような意味合いから言えば
スーラもまた
光と色彩の表現に向かって
突き進んでいた
と言うことができます。
スーラ達自身も
こうした印象派のテーマを引き継ぎ
絵画における
【光】と【色彩】の表現を
さらに追求しようとする意志を表明し
自らを
『光彩主義(chromoluminarisme)』と
称していました。
しかしながら
【新・印象派】と名付けられた
スーラの色彩技法は
従来の印象派とは
決定的な違いがありました。
それは
どのような点だったのでしょうか。
点描画家ジョルジュ・スーラ|印象派vs点描
スーラの目指す色彩技法は
印象派と何が違っていたのでしょうか。
それは彩度の高い純粋色を用いて
それらの色の混ざり合いをも
徹底的に排除したことです。
重ね塗りも一切行わずに
色を完全に分割する
『分割主義(divisionism)』により
印象派の画家たちも
獲得することができなかった
色彩のリズム感や
目映いほどの色の輝きを
画面に作り出すことに成功します。
そこには
光と色彩の調和をもたらす
科学的根拠に基づく
点描技法の秘密がありました。
点描技法では純粋色を用いて
白以外の混色を避けていますが、
これが明度の高い
明るい色彩を実現しています。
さらにその色彩を
適度なサイズ感を持つ点に分割し
互いの色彩を引き立てるような
場所に置くのです。
これは
画面上で混色することなく
鑑賞者の網膜上で色が混ざり合う
『視覚混色』の原理を
絵画技法へと応用したものでした。
このように
視覚的な像を構成する
色彩の科学的な条件に忠実に
絵画へ応用するという取り組みは
言葉だけで説明を聞くと
絵画としてはどうも機械的で
むしろ貧弱な印象を与えかねません。
しかし実際には
このような点描技法により
濁りの無い鮮やかな色彩と
明るい色調が画面全体に
素晴らしいリズムを生み出す
点描画の完成度は
目の前の自然に対峙し
ありのままの美を素早く描き留める
本来の印象派のスタイルでは
到底たどり着くことの出来ないものでした。
スーラの言葉が残っています。
『芸術とは、調和である。
調和とは、「明暗の調子」、「色合い」、
「線」の相反するもの同士の類似性であり、
相似するもの同士の類似性である。
それらは画面の主調、
また照明の影響と関連し、
陽気さ、静穏さ、あるいは陰鬱と
結びついている。』
点描画家ジョルジュ・スーラ|点描の技術
点描というのはその字の通り
『点』を打つようにして
画面に色を一点一点置いていく
という描き方なのですが、
大作を目の前にすると
いかに苦労の多い技法か
素人目にも伝わってきます。
筆です〜っと一気に塗ってしまえたら
どんなにか快適でしょうか。
実は
点描画の出現によって
存在価値に大きな揺さぶりを
かけられた印象派の画家の中に
スーラの点描主義を高く評価し
自らの点描画の制作にも挑戦した
画家がいました。
カミーユ・ピサロです。
(Camille Pissarro, 1830-1903)
ピサロは
スーラ率いる新印象主義の
強力な擁護者のひとりでした。
ピサロは
外で絵を描く印象派のスタイルから
アトリエで点描画に取り組むように
なります。
しかしそれも長くは続かず
点描技法の凄まじい難解さに苦労し
やがて印象主義へ戻ったといいます。
目の前にあるものから受けた印象を
感性を主として素早く描き留める
印象派のスタイルに慣れていた
ピサロにとって、
アトリエにこもり
科学的な理論に忠実に点を打つ
理性をも拠り所として描く
点描画は難しかったことでしょう。
ですが
ピサロが新印象主義の画家を評価し
一体となって技法を試みたことは
新印象派の誕生と発展に
大きく貢献したと言われています。
そしてもう1人、
スーラとともに
点描技法を確立した画家がいます。
ポール・シニャックです。
(Paul Victor Jules Signac, 1863-1935)
美術史において点描主義と言うと
スーラおよびシニャックを
中心とした19世紀末の
ヨーロッパの画家の一派
を指すとのことです。
シニャックは
スーラ亡き後も
新印象主義に関する本を出すなど
スーラの理論を引き継ぎます。
しかし、
シニャックもまた
画面上の小さな点に向かい続ける
ことは出来ませんでした。
シニャックは独自の点描を生み出し
モザイクのような大きめの点描技法
によって
新印象主義の第二世代として
さらなる発展に貢献していくことに
なります。
それにしてもスーラをはじめ
ここまで大変な技法である
点描に惹かれた画家達は
一体何か描きたかったのでしょうか。
スーラー自らの目的を
『光彩主義(chromoluminarisme)』と
称していました。
これは
絵画における【光】と【色彩】の
役割を最大限に活かしたい
という理念の追求を表しています。
これまでの絵画における
筆のタッチを
『点』という描写方法に集約し
さらに
純度の高い色彩を
混色せずに使うことで
明度の低下を避け
小さな点を並置させることで
それぞれの色彩の彩度が
より効果的に引き立て合うよう
表現することに成功したのです。
点描画で表現された
明るい日差しと
どこまでも煌めくような
濁りの無い色彩の美しさは
絵画に新しい生命を吹き込む
魔法の技法のように
画家達の目には
映ったのではないでしょうか。
点描画家ジョルジュ・スーラ|点描効果の秘密
例えば
上の画像で示した布のように
縦糸と横糸の色が異なる
二色の糸で織られた織物を
少し離れて見ると
二色の糸を見分けることは
私達には難しくなってきます。
そして
私達の脳は、
実際に使った二色の糸の色ではなく
その中間色の布として見える
という現象があります。
点描技法は
絵の具で描いた小さな点を
並べて配置することによって
それぞれの点描の色が融合して
ひとつの色のように『見える』
ように意図する方法です。
この色の融合は、
一つ一つの点の色が肉眼では
分解できないくらい小さい時か、
あるいは十分に離れた所
から見た場合に起きる現象で、
このとき
それぞれの点の色に対応して
反射される光のスペクトルの
異なる色光は
網膜上で加法混色を起こしている
と言う事ができます。
この理論にもとづいて
絵画への応用を研究したのは
スーラが初めてでした。
点描の効果について
スーラ自身の言葉が残っています。
『技法ー網膜上で光の知覚が持続する
現象が起こるとすれば、結果として
統合作用が起きる。
それを表現する方法は、
明暗の調子と色合い(対象の固有色と、
そこに当たる太陽や石油ランプやガス燈
などの光の色)の視覚混合、
すなわち「対照」・暈し・光滲の
諸法則に従った、
光とその反応(影)との視覚混合である。』
点描画家ジョルジュ・スーラ|点描画家スーラの人生
そんな
点描画の創始者
ジョルジュ・スーラとは
どんな人物だったのでしょうか。
スーラはパリの裕福な
ブルジョワ家庭で生まれます。
そして
スーラ16歳のときに
近所の市立素描学校に通い始め
デザインの基礎としての
素描を学んだそうです。
スーラは
色彩を追求する前に
鉛筆画など白黒の素描の世界で
充分に訓練を積んでいたようです。
スーラの素描は
アカデミックな線描を基本とする
ものからしだいに
輪郭よりも明暗に意識を注いで
描かれるようになっていったようです。
上質な紙の凹凸のある肌目に
固着性が高く柔らかな
コンテ・クレヨンで
微妙な濃淡の変化をつけながら
輪郭線に頼らずに
対象の形態を明暗のコントラスト
によって明確に際立たせるような
素描の作品には
紙の凹凸に沿って自然に残る
白と黒が並置される効果が見られ
スーラが後に
色彩における点描技法を確立した
画面の特徴に類似性が見えます。
スーラは19歳で
国立美術学校に入学し、
古典的なデッサン技法を
学ぶかたわら
色彩や光学に関する
最新の科学的理論の研究に
没頭していきました。
それは、
科学的な理論を絵画へ応用したい
という思いからでした。
特に
配色の理論を使って
画面上で色を科学的に配置する
研究を重ね、
ついに
革新的な点描技法を生み出します。
スーラは印象派の影響を受け、
印象派の画家達が好んで描いた
平和で美しい海岸の風景を
スーラも彼らにならって
描いていきました。
その海景画において
水面に映る煌めく光を
画面に留めるべく
点描技法は完成に至りました。
このようにして
スーラは絵画技法の歴史に
その名を留めることとなります。
しかしスーラは
31歳の若さで亡くなります。
スーラは点描技法をスタートさせ
13年間で点描主義の技法と理念を
形作ったと言われています。
スーラの急逝が
新印象主義の画家達に与えた
衝撃の大きさは
相当なものだったに
違いありません。
スーラは
点描技法の発見だけでなく
遠近法や明暗法など
既存の絵画技法を大胆に繰り返し
試した画家でもありました。
点描画家ジョルジュ・スーラ|まとめ
- ジョルジュ・スーラは色彩科学の理論を絵画へ応用した20世紀の革命的画家です。
- 絵画の要素としてのデッサン(線)からの解放と色彩表現の追求は、印象派がもたらした大きな功績でした。
- 印象派のテーマである光と色彩をさらに追求し、印象派を超える明るい色彩と光の瞬きを表現することに成功したのがスーラ率いる点描技法でした。
自然の美しさを画面に描き留める前に、私達は視覚を通して見ているという事実を忘れがちです。そこには光と色彩、視覚に関わる自然の法則が横たわっています。そんな自然の理論を基本にしたスーラの点描技法からは『絵画とは何か?』改めて考えさせられます。
NORi